誰もが悩む2~3歳の第一次反抗期について言語聴覚士が解説!第一次の反抗期の意味とは?





自我の芽生えと第一次反抗期

2、3歳の子どもを持つ保護者からの相談に、「最近、私の言うことに対して、何でも「ダメ!」「イヤ!」と言うようになり、急に反抗的でわがままになったようで困っている」というものがある。
さらに、相談は続き「この前も、出かけるときに私が『この服を着ていこうか』と薦めても「イヤ!」と言い、「じゃあ、こっちの服は?」と言っても「イヤ!」と言い続け、出かけられずに困ってしまった。
少し前までは素直ないい子だったのに……子育ての仕方を間違ってしまったのだろうか」と。
確かに、このように子どもが言うことを聞いてくれなかったり、反抗的だったりするのは、親にとっては悩みの種だし、ともすれば自分の子育てについても疑間を感じてしまうことだろう。
皆さんは、このような子どもの姿をどう思うだろうか。
何か問題を抱えているのでは、と思う方も多いと思うが、じつは、この時期の子どものこのような姿は、発達のなかで(第一次反抗期」と呼ばれる、だれにでもある、ごく普通の姿なのだ。
それではなぜ、子どもはこの時期になると急に親の言うことに反抗的になるのだろうか?

自我が芽生える

反抗期を説明するキーワードの一つに、「自我の芽生え」がある。
1歳くらいまでの乳児は、自分と母親とが別の存在であるという明確な認識を持っていないといわれている。
ですから、母親の言うことには素直に従うことが多いし、逆に母親が見えなくなると、とたんに不安定になり泣き出したりする。
そのような時期を過ぎて、2、3歳頃に起きる「自我の芽生え」とは、まさに「私は親とは別の存在である」ということを認識することだ。
自分を他の誰とも違った、独立した存在として認識できるようになることは、人格発達の上でも非常に重要な一歩であるといえるのである。

第一次の反抗期の意味とは

自己を主張する

自分は独自の存在であるという意識が強くなると、親との間に対立が起こるようになり、反抗期が訪れる。
親の指示を拒否し、自己主張が強くなるということは、一方の当事者である親からすれば、今まで可愛がってきて、そして素直になついてきたわが子がはじめて自分の言うことに反抗するわけだからだ、ショックも大きいだろう。
しかし反抗期は、反抗という形により自己を表現する能力の発達として考えられるので、できるだけ肯定的にとらえる姿勢が必要だ。
逆に、適度な反抗を起こさないということは、単に「素直な良い子」というだけでなく、自己を表現する能力の乏しさととらえることもできる。
また、家庭外、たとえば幼稚園や保育所において、他の子どもたちとの関わりのなかで自己を十分に表現できないという、社会性の問題につながる可能性もある。
反抗が起こらない原因の可能性としては、発達上の問題も考えられるし、親が過保護でいつも子どもの先回りをして、子どもが自発的に、自由に活動する機会を与えなかったり、また親が子どもに対して威圧的で子どもが自己表現することができないなど、育児をめぐる環境に問題がある場合もある。
自分は独自の存在であるという意識が強くなると、親との間に対立が起こるようになり、反抗期が訪れ、親の指示を拒否し、自己主張が強くなるのである。

自分に興味を持つ

自我の芽生えに伴うもう一つの側面として、自分の名前(名札や表札、自分の名前を書いた持ち物など)や、自分を示すマークに非常に興味を持つようになる。
また、親の言うことには拒否的である一方で、親の手を借りずに、自分で何かをすることや、自分で決定することには非常に積極的に取り組むようになる。つまり、自主性、自発性が育ってきているといえるのだ。
自分で何でもやってみたいわけだからだ。

親が手を貸そうとすると、強く拒否する。
つまり、親への反抗は子どもの自発性の裏返しともいえるのだ。

反抗期の子どもとうまく付き合うには

服を着てもらうには

ところで、冒頭の悩み相談に関して、子どもに服を着てもらうにはどうしたらよいだろうか。
ここまでの説明からもうお気づきかもしれないが、親が薦めるものには拒否的なのだが、自分で決定することに興味を持つということを考えてみよう。
一つのアイデアとして、子どもの前にいくつかの服を並べ、「さあ、○○ちゃんはどの服が着たいかな。自分で選んでごらん」と言えば、子どもは喜んで洋服を選んで着るかもしれない。

子どもを尊重しつつ、しつけも大切

反抗期を通して育つ子どもの自主性、自発性は、決して子どもが身勝手になることや、親が子どもの言いなりになることを示すものではない。
子どもは自己を主張することと同時に、それを年齢なりに調節したり、時には周囲のことを考えて我慢をすることを身につけることも必要なのだ。
その意味でも、親は子どもの反抗期の特性を受け止めながら、同時に子どもに対するしつけという立場も忘れてはならないといえるのではないか。



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