そもそも遊びとはなにか?
遊という字は、子どもが水上にただようさまを表す字形から発展したとされていることからも、ゆらゆらと浮いていたり、さまよい歩いていたりという無目的な状態を示していると思われる。
ホイジンガは、「遊びの目的は行為そのもののなかにある」と説明している。
つまり、遊ぶ目的を検証することや、その結果を評価することが無意味であることを指摘しているのである。
自発的でおもしろく、その行為を楽しむことが、遊ぶという意味なのだということだ。それでは、乳児の遊びとはいったいどのような意味があるのだろうか。
乳児における遊びの意義
心地よさの追体験
授乳の場面を見たことがあるだろうか。乳児はお乳を懸命に飲んでいるかと思うと、時折、飲むのを止めて、親に話しかけたり微笑んだり、乳房や哺乳瓶をさわったりしていることがある。そのようなとき、親は、「遊ばないで飲もうね」などと飲むことを促すことがある。このとき、乳児は周囲の世界を積極的に探索していると考えられている。
生後半年くらいまでの乳児は、周囲の人やものを見つめたり、手を伸ばしてつかんだり、さらにはつかんだものを口に運んで感触を楽しんだりする。そして、興味のあることは繰り返し繰り返し行おうとする。
たとえば、小さな玉を手にいっぱいつかんで、それを床に一気にまき散らす場面を考えてみよう。
散らす、危ない、食べてしまわないかなどという心配が、私たちの頭をよぎることが多いと思う。しかしながら、その活動(動作)をしている乳児にとってはどのような意味があるのだろうか。
小さな玉をつかんで放り投げるというのは、単に楽しいというだけではなく、どのくらいつかめるか、どのくらい広く、あるいは遠くに飛ばせるかを確かめているようにも見受けられる。
つまり、実験とか挑戦のような要素が含まれた活動と考えられる。乳児は心の内面の思いを周囲の世界に一気に吐き出すような活動を通して、心地よさを追体験しているといえる。私たちの心配をよそに、実に楽しい活動(遊び)をしているに違いないと思われる。
働きかけと待ち受け
これらの活動は、乳児個人での活動ばかりでなく、周囲の人との関わりのなかで行われることも多く、人との関わりへの関心を育むことになる。その代表的な活動が、いないいないばあに見られる。それは周囲の人からなされる乳児の関心を引く働きかけに、乳児が応じる形で始まる。
そして、やがては、乳児が主導権を持って周囲の人が応じるというように発展していく。
このプロセスで乳児が獲得することは、ターン・テーキングといわれている。すなわち、周囲の人から働きかけられているときには自分からの働きかけを控えて、応ずることに専念することだ。
そして、周囲の人からの働きかけが終わったら、自分が働きかけるという活動である。いないいないばあの他にも、親子の言葉のやりとり、ボール遊び(転がす)なども、このような働きかけと待ち受けを上手にこなせることによって可能な活動になる。
見立てとふり
乳児は、周囲の人とのやりとりを通して、さまざまな経験を積み重ねていく。
その経験は記憶として残され、そこから活動の予想(予期)が可能となる。さらに、周囲のものの性質や利用法を理解するにつれて、ふり遊びといわれる行為が見られるようにもなる。
ふり遊びが成立するには、人やものを見立てるという行為が必要だ。見立てとは、たとえば積木を本物のバスとして取り扱うように、本物をシンボル化するために乳児が身近なものを用いるということだ。
この本物と代用物を関連づけているのが、乳児の心のなかの本物についてのイメージなのである。人についての見立ても、泣き真似や食べるふり、寝たふりの動作を表現するようになる。
これらの見立ては、周囲の人からの働きかけで活動させられていた乳児が、自分からの働きかけによって周囲の人を動かすことができることを発見したことによるものと考えられる。
このように、自分の行為に対する周囲の人の反応を通して、行為に何らかの意味を見出すことが、ふりの成立に関係しているといえる。
やがて、このふりを活用して、幼児期における仲間関係での遊びへと展開していくのである。
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