赤ちゃんは泣くことで情緒を知らせているのか?
「赤ちゃんの仕事は泣くことだ」とよく言われている。
驚くべきことは、生後3日目までに母親は自分の赤ちゃんの泣き声と他人の赤ちゃんの泣き声には異なる反応を示すようになると言われていることだ。
生後1か月の頃になると養育している多くの親が、自分の赤ちゃんの泣き声が「空腹」のためなのか、どこか「痛い」のか、「怒り」なのか、「眠い」のかのその意味を感じとるようになると言われている。
養育している親の「敏感さ」にも支えられ、新生児や乳児の生理的な状態は泣き声を通して伝わっていく。これは彼らの「喜怒哀楽」の表現なのか?それとも、単に彼らの「生理状態」の表れに過ぎないのか?
赤ちゃんは喜怒哀楽を模倣するのか?
フィールドらの報告では、新生児(生後平均36時間)の眼前で検者が「喜び」「悲しみ」「驚き」という3つの表情をしてみせると、新生児がそれらを「識別」し、模倣することを報告している。もちろん模倣ができたから情緒を産出していることにはならないが、興味深い知見であることは確かだ。
フィールドらの研究結果は、赤ちゃんがお母さんの喜怒哀楽の表情に自分の表情をシンクロしようとしているかのように感じさせる。
お母さんの「喜び」の表情を「喜び」として、あるいは「驚き」の表情を「驚き」として理解して反応しているというよりは、ここでは模倣という行動を通して相互作用するという客観的事実に限定する慎重さが必要だが、まさにその相互作用にこそ、この現象の意味を解く鍵があるように思える。
母親は自分の赤ちゃんの「泣き」に非常に敏感である。生理的現象としての「泣き」にいろいろな意味を感じようとする。そして一方で、赤ちゃんはお母さんの喜怒哀楽の表情に敏感に反応するのだ。
社会的参照とは?
むしろ新生児や乳児における喜怒哀楽の表出を単なる生理的反応の問題としてとらえるのではなく、母子を中心とした社会的相互交渉の視点で考えてみることが重要だろう。
産科病院の新生児室で一人の新生児が泣き出すと他の新生児も一斉に泣き始めることがよく知られているが、サギとホフマンによれば、この現象は人の「共感性」の最も早い出現としてとらえられるというのだ。
最初に述べた新生児の種々の泣き行動もその微妙な違いに敏感な養育者の選択的な反応に支えられて、単なる泣き声が「信号」としての意味をもつようになる。
泣き声を通して親子の間に情緒の伝え合いが始まるのだ。泣き声に限らず、微笑や喃語も新生児や乳児に養育者を注目させたり具体的に関わらせたりしている。
生後8か月から10か月ぐらいに、母親に抱かれている乳児が、たとえば見知らぬ人にあったり、見慣れないものに遭遇したりすると、彼らは母親の顔をうかがうことをよくする。母親がそのとき怖い顔をしていたり、嫌悪を示していたりすると、泣き出したり出そうとしていた手を引っ込めたりするのだ。
この「社会的参照」と呼ばれる現象は、乳児にとって愛着の対象である養育者の情緒を汲みとる能力があるとさえ感じさせる。
言葉によるコミュニケーションができない新生児や乳児は、彼ら自身の精一杯のコミュニケーション手段を用いて養育者である親に自分の情緒に気づいてもらうことで、ますます両者の社会的相互交渉を高めていて、一方で乳児自身、養育者の表情や声の調子、動作などを手がかりに自分の行動の質を高めていくということを行っている。
新生児や乳児の場合、それこそ大人と同じレベルでの情緒の具体的表出がいつから始まるかが問題なのではなく、社会的相互交渉の質と量を高めるための重要な情報としての「情緒の伝え合い」は、出生の直後から養育者である親の敏感さに支えられ機能しているのだ。
生理的な不随意的な反応であったものが「喜怒哀楽」として意味をもつのはその送り手と受け手の相互交渉の高まりの結果と入れるのではないだろうか。
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